岡山地方裁判所 昭和62年(ワ)153号 判決 1992年1月28日
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主文
一 原告らの請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自原告らに対し、各金120万円及び各内金100万円に対する昭和62年3月18日から完済まで年5分の金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 仮執行免脱の宣言(被告岡山県)
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
Ⅰ 原告らは、被告社団法人岡山県獣医師会(以下、被告獣医師会という)所属の獣医師であり、それぞれ肩書住所地で、原告X1は昭和55年9月から永原動物病院を、原告X2は昭和53年5月から大元動物病院を、原告X3は昭和57年4月から成本動物病院を開業しているものである。
Ⅱ 被告岡山県(以下、被告県という)は、狂犬病予防法に基づき狂犬病予防注射業務及び手数料収納事務等の狂犬病予防注射の実施事務を行っている。
被告獣医師会は、獣医学の発展普及等を目的とする社団法人である。
2 被告らの共同不法行為
Ⅰ 犬の狂犬病予防注射制度について
(1) 犬の所有者は、毎年1回、狂犬病予防法5条により狂犬病の予防注射を受けなければならず、また予防注射を受けた際には岡山県知事から交付を受けた注射済票を犬に付けなければならないこととされている。
(2) そして、毎年1回定期実施の予防注射は定期注射、それ以外の臨時に実施される予防注射は臨時注射と称され、最近の定期注射は例年春季に、臨時注射は都合のよい時期に、それぞれ岡山県内の一定のいくつかの場所、例えば公園等に一斉に多数の犬を集めて予防注射を実施する集合注射という方式で実施されている。
(3)イ ところで、犬の所有者は狂犬病予防法施行規則12条により、定期予防注射を受けた獣医師から注射済証の交付を受け、これを岡山県知事に提示して知事から注射済票の交付を受けて犬に付けなければならないこととされている。
ロ したがって、右規則では狂犬病の予防注射の実施主体は、本来開業獣医師であることが当然の前提となっているから、定期予防注射業務は本来被告県の業務ではなく、被告県は狂犬病予防注射の実施主体とはなりえないというべきである。
ハ ところが、被告県は実施主体となって被告獣医師会と共同して定期予防注射業務を集合注射の方式で実施している。
即ち、狂犬病予防注射の計画及び実施については、被告獣医師会の統制の下に行い、さらに定期集合注射は被告県が選任した指定獣医師のみに行わせることとし、また右指定獣医師の選任については、被告県は被告獣医師会が一定の推薦基準により予め推薦した獣医師の中から指定獣医師を指定することとしている。
ニ したがって、本来開業獣医師であれば、定期、臨時にかかわらず自由に予防注射を実施しうるにかかわらず、指定獣医師制度が存在するため、被告県から指定獣医師の指定を受けないかぎり、定期集合予防注射には一切参加できず、その予防注射業務を行えない結果となっている。
Ⅱ 指定獣医師制度による定期または臨時の集合予防注射制度は独占禁止法8条1項1号、4号に違反する制度である。
(1) 前記のとおり、本来犬の所有者は定期、臨時を問わず狂犬病予防注射を受ける際、どの開業獣医師を選択するかは全く任意に委ねられ、開業獣医師も注射料金を任意に定めることができるというべきであって、狂犬病の予防注射は、犬の所有者による開業獣医師の自由な選択と開業獣医師による自由な競争に委ねられるべきものであるから、開業獣医師による狂犬病の予防注射業務について独占禁止法が適用されるべきものである。
(2) しかるに、定期予防注射業務が指定獣医師による集合注射方式で実施されることとなると、料金の統一的な定めや担当獣医師の割当などにより、開業獣医師相互間の料金及び技術の自由競争を制限し、顧客である犬の所有者の獲得競争を制限することとなっている。
また、集合注射の料金が、開業獣医師が個々に行う注射料金を決定しているため、この統一的料金による集合注射の実施は結局開業獣医師による料金競争を消滅させる結果となっている。
(3) 被告県は、かかる集合注射方式による狂犬病予防注射業務を、被告獣医師会に全面的に委託して同被告にその業務を統括的に実施させており、被告らは、集合注射方式による狂犬病予防注射業務を共同して実施しているのである。
かかる集合注射の実施自体は、事業者の開業獣医師が行う予防注射業務という一定の取引分野における競争を実質的に制限するものであるから、集合注射の実施は、事業者団体による個々の開業獣医師たる事業者の競争の実質的制限行為を禁止する独占禁止法8条1項1号に違反し、また少なくとも指定獣医師による集合注射制度は、事業者団体である被告獣医師会が、構成事業者である会員たる各開業獣医師の機能または活動を不当に制限する制度であって、同法8条1項4号にも違反している。
(4) 被告県が、定期、臨時の集合注射業務について直接の事業者として関与していないとしても、被告獣医師会が統括して実施する定期、臨時の集合注射制度が、右のとおり独占禁止法に違反しているところ、被告県は定期、臨時の集合注射の実施においても、その事務を分担して被告獣医師会と共同して集合注射を実施しているから、被告らは独占禁止法違反の共同行為者というべきであり、この違反行為は民法上の共同不法行為に当たる。
3 損害
Ⅰ 慰謝料
非指定獣医師の原告らは、集合注射業務への参加を拒否されて営業の自由を侵害され、また獣医師であり、かつ定期集合注射業務に参加する意思を有しながら、これに参加できず獣医師としての社会的信用を失墜して精神的損害を被ったが、これを金銭に評価すると、少なくとも各100万円を下らない。
Ⅱ 弁護士費用
原告らは、原告訴訟代理人弁護士に本件の提訴追行を委任し、その費用として各20万円の支払いを余儀なくされた。
二 請求原因の認否
被告ら
1 1のⅠの事実は認める。
1のⅡの事実中、第二文の事実は認める。
2 2のⅠの(1)の事実、同(2)の事実(但し、臨時注射の時期の点を除く)、同(3)のイの事実は認める。
同(3)のロないしニの各事実は争う。
2のⅡの(1)ないし(4)の各事実は争う。
3 3の事実は争う。
三 被告県の主張
1 被告県は被告獣医師会に委託して毎年集合、戸別の予防注射を実施し、犬の所有者の便宜を図り、予防注射の実施率を高めているところ、狂犬病の予防注射漏れを極力防止することは、地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全・健康・福祉を保持するうえで重要なことであるため、被告県は地方公共団体として地方自治法2条3項の定める「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉の保持」という公共事務として、狂犬病予防の徹底を図るため本来なすべき事務をしているものである。
なお、この場合同法2条15項の制限が当然あるので、法令に反して事務を処理できないが、このことは狂犬病予防法との関係でいえば、例えば強制的に予防注射を実施するようなことが禁止されるものと解される。
2 定期予防注射には、集合、戸別、随時、保健所における注射の4種類があり、集合注射は被告県が毎年実施計画を調整して被告獣医師会に実施を委託し、同被告の統制の下に被告県知事が指定する開業獣医師が行う予防注射であって、関係市町村の協力を得て、一定の日時、場所(通常は学校、公園、公民館等の広場)を定め、そこに犬の所有者に集まって貰い、予防注射を行い、その場で注射済票及び鑑札が交付されるものであり、毎年4月から6月迄の間に実施されるものを定期集合注射、これに漏れた犬を対象とするものを臨時集合注射と称して実施されている。
戸別注射は、被告県が毎年実施計画を調整して被告獣医師会に実施を委託し、同被告の統制の下に被告県知事指定の開業獣医師が行う予防注射であるが、注射漏れの犬を対象に、犬の所有者を戸別に訪問して実施するもので、毎年7月と8月に行われている。
随時注射と保健所における注射は、年間を通じて獣医師等により実施されているものであるが、後者は殆ど行われていない。
3 指定獣医師制度について
この制度は集合、戸別の注射(以下、集合注射という)の円滑な実施をはかるため、予め積極的に協力参加する意思のある獣医師を募り、申し出のあった者の中から老齢その他の事由で業務の円滑な遂行が期待できない者を除いて指定しているものであって、昭和28年頃から運用されているところ、現在は被告県が作成し、昭和57年3月1日より施行の「狂犬病予防注射獣医師の指定等に関する要領」に基づいて実施されている。
指定期間は3年である。
4 注射料金は集合注射の性格上、獣医師により差があると混乱を生じ、また余りに高額であると注射の実施率が低下するため、一定の料金が定められているが、被告県では昭和60年に被告獣医師会会長からの要望を受けて1頭当たり2000円以下とするよう回答し、被告獣医師会はその後現在まで1頭当たり2000円と定めているのである。
5 原告らが指定獣医師の資格を喪失した経緯
昭和61年4月3日岡山市内で実施された定期集合注射の際、注射が原因と疑われる犬の死亡事故があり、被告獣医師会の岡山支部で注射事故が生じた場合の責任の所在が問題となったが、被告獣医師会岡山支部に所属する原告らは、被告獣医師会やその岡山支部の対応を不満として、同年6月1日、4日、8日に行われた臨時集合注射に参加しなかった。
原告らの指定期間は同年9月30日で満了するものであったことから、原告らについて同年9月被告獣医師会から推薦があったが、経由機関の岡山環境保健所長から臨時集合注射に協力せず指定獣医師の責務を放棄し、狂犬病予防注射業務の円滑な推進を混乱させた旨の意見が付されていたので、被告県知事は岡山支部及び原告らから事情聴取したところ、原告らについては狂犬病予防注射の実施に積極的に協力する意思が確認できなかったので指定せず、その結果、原告らは同年10月1日以降、指定獣医師の資格を喪失した。
6 独占禁止法違反の主張について
被告県の実施している集合注射は、前記のとおり公共事務として行っているものであり、反対給付としての注射料金も受領していないから、被告県は事業者に当たらず、独占禁止法違反の問題が生じる余地はない。
また、集合注射の実施は、被告獣医師会が被告県より委託を受け、被告獣医師会の統制の下に指定獣医師が行っているところ、これは被告県の公共事務の一部を実施しているものであり、開業獣医師間の私的な競争とは異質のものであって、被告獣医師会の行為に独占禁止法違反の特段の事情がない限り、同法違反の問題が生ずる余地はない。
のみならず、原告らは共同して新聞折込広告等により岡山県民に呼び掛け、集合注射の実施時期より早い時期に、各地で犬の所有者に集まってもらい、集合注射よりも低額の任意の料金で注射をしているものである。
即ち、岡山県下の狂犬病予防注射の対象頭数は約6万頭以上と推定されるところ、そのうち、原告らは昭和62年度は約1300頭、昭和63年度は約2000頭、平成元年度は約4500頭、平成2年度は約9000頭に注射を行い、その地域も岡山市の外、倉敷市等の飼犬が多数存在し、経営効率の良い所を選び、自由に日時、場所、注射料金を定めて、被告らの集合注射以外の分野で狂犬病の予防注射を実施し、収入を得ているのであって、何ら原告らの実施している予防注射は妨げられていないのである。
従って、被告県が実施している集合注射が開業獣医師の行う予防注射業務という一定の取引分野における競争を実質的に制限しているとか、開業獣医師の機能又は活動を不当に制限しているとの主張は当たらない。
原告らが集合注射に参加できないことによる不利益は、被告県知事が原告らを指定獣医師に指定しなかったことによるものであり、被告獣医師会の実施する集合注射とは別個のことである。従って、被告獣医師会が実施する集合注射に参加出来なかったことが、独占禁止法8条1項1号及び4号に違反するという問題が生ずる余地はないのである。
また、原告らの損害は、その主張によっても、被告県知事が原告らを指定獣医師に指定しなかったことにより生じた損害であって、被告県が被告獣医師会に指定獣医師による集合注射の実施を委託したことにより生じた損害ではないから、右委託の違法と右損害との間には相当因果関係がない。
四 被告獣医師会の主張
1 被告県が狂犬病の発生を積極的に防止するため予防注射を実施することは、地方自治法2条3項の公共事務と解することができるものであって、独占禁止法による規制の対象外であり、被告獣医師会は被告県から公共事務の委託を受けて実施しているものであるから、同法違反の問題が生ずることはない。
2 集合注射は指定獣医師が担当しているので、開業獣医師は指定獣医師と非指定獣医師に分かれるが、そこで問題となるのは自由競争を妨げるか否かではなく、平等原則の問題である。
開業獣医師が指定を欲したのに不合理な理由による差別的取扱を受け、指定されなかった場合は平等原則違反の問題が生ずる。
非指定獣医師が被告県の実施する定期予防注射とは別個に独自に予防注射を実施することを禁じ、或いは不当に制限した場合は独占禁止法違反の問題となるが、指定獣医師が被告県の公共事務として予防注射を行うことと、非指定獣医師が独自に予防注射を実施することを、同質の事業と捉えて、共に独占禁止法の俎上に乗せて競争の実質的制限の有無を論じることは同法の解釈を誤るものである。
狂犬病予防法に基づく予防注射の実施に開業獣医師が深く係わることにより開業獣医師に多くの経済的利益がもたらされたが、その利益のため予防注射制度が存在するわけではなく、狂犬病予防法は同病の発生の防止が唯一の目的であるから、同法の解釈及び独占禁止法との関係で「自由競争の原理」を「狂犬病発生の防止」よりも優位に置くことは主客転倒である。
3 指定獣医師制度において、被告獣医師会は推薦するだけであるが、その推薦については「指定獣医師指定推薦基準」に従っているところ、その基準は全く合理的なものであり、競業者を不当に差別するものではなく、犯罪等のない限り、誰でも推薦されることができるものであって、現に被告獣医師会は原告らを推薦しているものであるから、独占禁止法8条1項4号の「構成事業者の機能又は活動を不当に制限する」ものではない。
また原告らは、独自に集合注射と類似の形態で予防注射を実施し、昭和62年度1200頭、昭和63年度2000頭、平成元年度約4500頭、平成2年度約9000頭に予防注射をし、その地域も岡山市の外、倉敷市等の人口も、飼犬の頭数も多く、収益を上げるうえで極めて効率的な地域で実施しており、労少なくして利益の多い地域のみで予防注射を実施しているのである。
そして、指定獣医師による注射料金は1頭当たり2000円のところ、原告らは1200円で注射をしているのであり、価格の点でも自由に競争しているのであって、原告らの競争は全く制限されていないのである。
以上のとおり、原告らは、予防注射業務の領域において、指定獣医師による集合注射の実施によって事実上禁止に近い状態にまで追い込まれておらず、却って原告らの注射頭数は年々増加しているのであり、指定獣医師による集合注射の実施は独占禁止法8条1項1号の「一定の取引分野における競争を実質的に制限する」場合に当たるものではない。
4 原告らは、被告らの集合注射業務自体が独占禁止法違反の違法行為であるとして、違法行為に参加した場合に得られるであろう利得や社会的信用の喪失ないし失墜を損害として訴求するところ、かかる損害を司法制度の救済に求めることは、クリーンハンドの法理に反するものといわざるを得ず、主張自体が自己矛盾であって、公序良俗に反するものである。
5 また、原告らが指定獣医師に指定されなかったのは、原告らの非協力的態度によるとの被告県の判断によるものであり、被告獣医師会とは無関係のことである。
原告らの損害と被告獣医師会の集合注射の実施との間には因果関係がない。
第三 証拠は本件記録中の書証、証人等の各目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求原因1のⅠの事実とⅡの事実(但し、第二文の事実)、同2のⅠの(1)の事実と(2)の事実(但し、臨時注射の時期の点を除く)、同(3)のイの事実は、いずれも争いがない。
二 原告らは、指定獣医師による集合注射方式による狂犬病予防注射制度は、独占禁止法8条1項1号、4号に違反して違法であるという。
甲第9号証の1、3、甲第14、第16ないし19号証、甲第20号証の1、2、甲第21ないし第26、第28、第29号証、甲第30号証の1、2、甲第31号証、甲第39号証の1、2、乙第4号証の1ないし5、乙第5、第6号証の各1、2、乙第7、第8号証、乙第9号証の1ないし4、乙第10ないし第13号証、丙第1号証の1ないし3、丙第2ないし第12号証、丙第14号証、証人A、同Bの各証言、原告X2本人尋間の結果、弁論の全趣旨によると、以下のような事実を認めることができる。
1 わが国では昭和20年代に狂犬病が流行し、関東地区で、昭和24年中に614件の狂犬病の発生報告があり、死亡者は76名を数え、翌25年1月以降3月6日までに82件の狂犬病の発生報告があり、GHQから厚生省に対し、予防注射の実施や犬の移動禁止等の防疫対策をとるよう指示があり、昭和25年に狂犬病予防法が制定されて対策が講じられた結果、昭和32年以後は狂犬病は発生していないこと、しかし世界的には未だ撲滅されておらず、動物の輸入が増大するに伴い、何時外国から進入してきても不思議ではない状況にあり、予防対策を怠れば過去の流行が再現することが容易に予想される状態にあること、そこで、法制度として、全国一律に最低限度の予防制度として年1回の定期予防注射を犬の所有者の義務として課しているが(なお、狂犬病発生時の検診、予防注射は都道府県知事の権限としている)、予防注射が有料で犬の所有者の負担であることや、現在狂犬病発生の可能性が潜在的であること等から、全ての犬の所有者が自発的に狂犬予防注射を受けることを期待することは出来ない状況にある。
なお、狂犬病予防法が制定される際、予防注射の実施主体を開業獣医師にして欲しい旨の要求と、それでは、当時における開業獣医師の不足から狂犬病の発生防止という行政目的の達成が困難であるとの現実との間で妥協が計られた結果、同法には「予防注射の実施主体」が明示されなかった。
同法の施行と共に全国の都道府県で予防注射が実施されたが、その実施の形態は都道府県が実施計画を立て、保健所が犬を集め、獣医師会の統制の下に開業獣医師が注射を行うというものであったところ、被告県も全国の大多数の都道府県の例と同様、被告獣医師会に委託して、毎年集合注射及び戸別注射の方式で予防注射を実施してその実施率を高めると共に犬の所有者の便宜を図っている。
地方自治体法2条3項は地方公共団体の行うべき事務として、「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉の保持」の事務を定めているところ、狂犬病の予防注射漏れを極力防ぐことは、地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持するうえで重要なことであり、狂犬病の予防を徹底するための事務を行うことは地方公共団体がなすべき公共事務として本来なすべき事務というべきものである。
そこで、被告県は狂犬病防疫体制の徹底を図るため、定期予防注射は毎年1回、被告県が実施計画を調製し、被告獣医師会にその実施を委託し、被告獣医師会の統制の下に被告県知事が指定する開業獣医師が予防注射を行っていること、その実施に当たっては、市町村の広報誌により犬の所有者に呼びかけ、所定の日時に公園等の予め定めた場所に犬を連れて集合して貰い、そこで注射を行い、その場で注射済票及び鑑札を犬の所有者に交付している。
そして、毎年4月から6月までの間に、最初に実施されるものを定期集合注射と称し、さらに右注射に漏れた犬に対して実施されるものは臨時集合注射と称して実施している。
因みに、岡山市における定期集合注射についてみると、昭和61年度は4月1日から13日まで注射料(なお、注射済票交付手数料を含む、以下、同様)2400円、登録料金2100円で、昭和62年度は4月1日から19日までの間に料金は前年度と同様で、昭和63年度は4月1日から16日までの間に料金は前年度と同様で、平成元年度は4月1日から16日までの間に注射料金2550円、登録料金は2100円で、平成2年度は4月1日から15日までの間に料金は前年度と同様で、それぞれ実施された。
2 被告県は、従来指定獣医師にのみ集合注射に従事させて来たが、昭和57年3月1日以降、「狂犬病予防注射獣医師の指定等に関する要領」に基づき指定獣医師を指定しているところ、右の指定に当たっては被告獣医師会に推薦を求めており、そして被告県知事の承認を得た同被告制定の推薦基準は、左記のとおりである。
記
(1) 客観的にみて、獣医技術上機敏な行動力、注意力に乏しく注射業務の円滑を欠く者
(2) 体力その他の都合で、集合注射等団体行動が困難である者
(3) 精神病者又は麻薬、大麻、あへん若しくは覚せい剤の中毒者
(4) 獣医師法違反による処分後1ヵ年未満の者
(5) 獣医師としての対面を欠く者
(6) 精神病又は麻薬、大麻、あへん若しくは覚せい剤の中毒者であった者で、治癒後2ヵ年以内の者
(7) 指定獣医師の任務に専念できない者
なお、昭和57年3月1日以前には、開業歴1年以上の者との要件も定められていたが、独占禁止法に低触する恐れがあると指摘されたことから削除した。
右のとおり認められる。
以上認定したところ、特に狂犬病予防法の制定の沿革や同法上で、その実施主体が明示されなかった経緯をも併わせ考えると、定期予防注射の実施は、狂犬病予防の目的達成という公共の福祉に係わるもので、地方公共団体として本来なすべき公共の業務としての性格を持つものであるから、このような性格の集合注射は本来、私的事業の公正且つ自由な競争を促進すること、即ち自由競争経済秩序を維持することを目的とする独占禁止法の規制外にあるものと解するのが相当である。
また、集合注射業務に従事する獣医師を指定し、指定獣医師のみが集合注射に従事できるとすることは、右指定基準が集合注射業務に従事する獣医師として当然に具備すべき要件を定めている限り、独占禁止法8条1項4号にいう、構成事業者に対する一般的制限、一般的拘束による競争制限的行為となるような「不当な制限」に当たらないと解するのが相当であるところ、本件の場合の基準は前認定のとおりであって、集合注射に従事する獣医師に当然要求される要件というべきものであって、そこには格別不合理なものは見当たらないから、結局指定獣医師による集合注射制度は前記独占禁止法の条項に抵触しないものというべきである。
なお、一定の料金を定めている点も、公共事務としての集合注射の円滑な実施という事の本質からして、むしろ当然の事であって、何ら不合理なものではないから、この点に独占禁止法違反があるということもできない。
三 更に、甲第61号証の1、2、甲第62号証、乙第14ないし第18号証、丙第18号証、原告X2本人尋問の結果、弁論の全趣旨によると、以下のような事実が認められる。
原告らは、被告らが実施している集合注射とは別個に、独自に岡山市内やその周辺で昭和62年度以降(即ち、原告らが指定獣医師の指定期間満了により非指定獣医師となった翌年度以降)、チラシや新聞広告等により広報活動を行い、被告らが実施している集合注射の実施時期より早い時期に、公園や学校の前など公衆の集まりやすい場所を定め、被告らが実施している集合注射料金より安い料金で狂犬病予防注射を引き受けていること、即ち、岡山県内で昭和59年頃に飼犬の登録数は6万5000頭位で、その内集合注射の頭数は6万1000頭位であり、岡山市内の開業獣医師数は原告らを入れて32、3名のところ、原告ら3名は、被告らが実施している集合注射とは別個に、これより早い時期に独自で、昭和62年度は15ないし20か所で5日間にわたり1200ないし1300頭位、昭和63年度も5日間位にわたり40か所位で約2000頭に注射を行い、その注射料金(注射と証明書料)は1200円としていること、なお、平成元年度以降は岡山市以外の市町村においても、注射のみの料金1200円で予防注射を引き受けるようになり、岡山県外からも獣医師の応援を得て注射を実施し、平成元年度には約4500頭、平成2年度は約9000頭に注射をした。
右のとおり認められる。
以上認定の事実によれば、原告らは、注射頭数の点では被告らが実施している集合注射に伍しているものといっても過言ではない状況にあり、また料金の面では競争を制限されていないものと言うことができる。
しかるところ、独占禁止法8条1項1号の一定の取引分野における競争の実質的制限とは「有効な競争を期待することを殆ど不可能な状態にし、或いは競争自体が減少し、特定の事業者或いは事業者集団がその意思である程度自由に価格、品質、数量その他各般の条件を左右することによって市場を支配することができる形態が現れているか、または少なくとも現れるようとする程度になっている状態を指すもの」と解することが相当であるところ、前認定の原告らが独自で行っている注射業務の実施状況に徴すると、指定獣医師による集合注射制度によって、原告らが狂犬病予防注射業務の領域において競争の実質的制限を受けているものと言うことはできない。
四 以上の次第であるから、被告らが実施している指定獣医師による集合注射制度は、原告らが主張するような独占禁止法に違反する違法なものと言うことはできないから、原告らの本件請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないという外はなく棄却を免れない。
よって、訴訟費用の負担について民事訴訟法89条、93条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 三島昱夫)
別紙 当事者目録 省略